『あなたの、わたしの物語』に寄せて(八巻寿文・松岡優子)

『あなたの、わたしの物語』活動記録

演劇に触れて45年ほどになりますが、何年たっても新鮮な気づきや驚きが薄れず尽きないものだと不思議に思います。 
演劇は、個々の人間が核心を持ち歩いているのではなく、人間と人間の間に核心があって、個人では捕まえた気になっても、スルリと抜けられてしまうもの。
考えたり意識したりすると同時に消えるようなもの。
自然界に群れで生きる人間の本能が核心だから頭で考えるほど消える、のかもしれません。 

2011年に起きた東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では、共感、共調、共助、共有、協力、協働などの「共」や「協」の字に、人間と人間の対岸に架ける橋の機能があり、それこそ防災や文化に血流を送る生命線ではないかと感じました。 
しかし、普段から「共」や「協」の字を意識するとなると、頭では当たり前のことように理解している気がしても、どこかうっすら縁遠く感じてしまいます。 

たとえば、演劇がプロセスから本番まで10の要素で成り立つものだとして、そのうちのひとつやふたつの要素で橋を架ける役に立っても、それは演劇の一部であり、演劇だとは言えない。
10ある演劇のすべての要素がそろってこそ演劇本体であり、自分がやるべき事、出来ることがあっても、ひとつやふたつの要素では演劇が橋を架けたとは言えないと感じる。
演劇人がそう思っているとしたら、私の認識と少しだけズレがあるかもしれないと気づきました。

演劇人が避難所で被災した人の話し相手をしているとき、助け合いのための様々な役割分担を行っているとき、子どもに遊びの提案をしているとき、演劇のスキルを発動していると感じていました。
そして演劇の種子を撒くように、一粒でもその場に根を張り花が育てば良い。育ったものの姿は、演劇「のようなもの」かもしれないし、じつは観客なのかもしれないけれど、何であっても構わない。その種子は一粒の要素であっても密度は100%の演劇だから。

その認識は当たり前ではなかったのかもしれませんが、ともかく今回は演劇の本体にではなく、あらためてひとつずつの要素に全身で向き合う作業だったように見えます。 
置いてきた本体の、劇作や解釈や演技や演出といった要素をツールボックスに入れたまま、どれを使おうか使うまいかと悩んでいるように見えました。 

一方、私なんか何も…と言うひとも、同じ人間で異なる人生の主人公に違いありません。しかし、人生の主人公などと意識するのは「事を成したすごい人」「地位ある偉い人」といった離れた他人に対して、でしょうか。
そうは言っても災害に見舞われたときに人はみな同じ人間だった事実が露呈します。

今後の可能性という意味で、これまで使い慣れた道具に触れ直して、より精度の高い演劇を創ろうとするのではないか、とも感じられましたし、それこそ人間の社会に架ける「共」や「協」の橋を、結果的に造る行動になるのではないか、とも感じられました。 

そのとき「自分事として考える」ということと「自分事と感じる」ということでは、頭で当たり前のことように理解しながらうっすら縁遠く感じるのと、自分の傷みや感情とシンクロして心がギュウッと反応する違いがあると思います。

いつもは意識しないあなたの、そしてわたしのものがたりについて気が付くための、とても人間的で、しかし改まって顧みられないちょっとした技術を、演劇は隠し持っている気がします。
「暮らしと演劇は確かに異なるが境は無い」と感じましたし、そう信じて災害前夜の藪を漕いでゆくような気がしています。 

国境なき劇団 共同代表
八巻寿文 【野良・防災士・せんだい演劇工房10-BOX二代目工房長】

山形公演舞台写真
長崎公演舞台写真

この企画の根っこには、永山智行さん(劇団こふく劇場・宮崎)が語ってくださった「国境なき劇団に期待すること」があります。
国境なき劇団は、被災地域とともにありたいと思う演劇をする人たちの集団で、演劇作品を創ることを目的とした所謂「劇団」ではありません。
今回、このような形で演劇を創ってみたいと思ったひとつの大きな理由は、国境なき劇団の活動指針につながるだろう、その創作のプロセスを共有したかったからです。

『あなたの、わたしの物語』は永山さんが宮崎や福島でされている手法に習いました。
殆どの場合は劇作家が書いた戯曲をもとに演劇作品が立ち上がっていくわけですが、この取り組みはまずその土地の方の声に耳を傾けることからスタートします。
俳優はまずその土地の方に、その方の人生の物語を訊かせていただきます。
お訊きした物語を俳優自身が書き起こし、その原稿を鈴木友隆さん(山形)と荒木宏志さん(劇団ヒロシ軍・長崎)が俳優1人につき約10分の物語に構成し、山形と長崎で、そして配信でご覧いただいたような形で上演しました。
この創作の中でも体験する「耳を傾ける」ということこそ、永山さんの語ってくださった国境なき劇団に期待していることでした。

昨年夏から秋にかけて、日本演出者協会主催「演劇大学in筑後」内で開講された講座のひとつで、永山さんが講師をされた「あしたの演技のための、生きたことばに出会う講座」に立ち会わせていただきました。
『あなたの、わたしの物語』と同様に耳を傾けることから始まる演劇です。
その土地に住む方の物語を訊かせていただくことから始まる創作プロセス、最後の成果発表に至るまで心震える瞬間の連続でした。
他者の物語に深く耳を傾け、その物語に俳優が全身で向き合う。
お話を訊かせていただいた方の、自分の物語が照らされることへの恥ずかしさの入り混じった幸せそうな笑顔に度々出会いました。

この耳を傾けた時間から、熊本地震直後、避難所を巡っていた当時の記憶が蘇りました。
当時のSARCKは、避難所に身を寄せた方々と心身を解すためのワークショップのようなことを行なっていました。
そこでは溢れ出てくる、いろいろな物語を聞かせていただきました。
大きな災害に直面した衝撃からの混乱や避難生活からの苦悩の言葉が多くを占めるわけですが、わたしたちにとって大切な友人に会いに行くような愛しい時間でもありました。
家族・友達のこと、家業のこと、恋のこと。
溢れ出てくる言葉は地震や避難生活のことに留まらず、おひとりおひとりが語ってくださるこれまでの人生の物語から、わたしたちは大きな力をいただいていたように感じています。
誰もがかけがえのない物語を生きている。
震災直後の混沌とした状況でもそんな風に思える、心を通わす幸せを感じる場面がありました。

『あなたの、わたしの物語』では、山形と長崎でそれぞれ6人の方の人生の物語をお訊きしました。
それぞれの地域の仲間を中心とした方々のご尽力で、その土地に生きる“あなた”の物語を受け取り、“わたし”の物語として上演できました。
わたしたちのすぐ隣にある物語に耳を傾ける。
わたしたちがまず物語を受け取る。
わたしたちの活動は、目の前のひとと出会うことから始まるように感じています。
演劇が、誰かの心に触れる幸せな時間を生むことを願っています。

国境なき劇団 共同代表
松岡優子【SARCK代表、俳優(yum yum cheese!)、演出家、(有)ステージ・ラボプロデューサー】